8月12日、25年と1日前

ボディビルディング

2009年8月12日に 40オトコのボディビルコンテスト挑戦 のブログに 投稿された記事の転用。
あの日は40年近くたつ今でも鮮明に覚えている日だった。

大学生活最後の日

 今日で日航機が御巣鷹山に落ちて25年になるそうだ、と言うことは、オヤジが学生のシーズンを終えて、25年と1日になったということと同じである。

37年前。
早いものだ。

ミスター東京ジュニアの部 5位で写真には写っていない 引用元:https://physiqueonline.jp/specialist/page4897.html

 ミスター東京のジュニアに3年目のシーズンとして出場し、ハイレベルなコンテストの中、5位に終ったコンテストであった。(渡辺実さんが優勝した年)
 あのシーズンの時も朝と夜のダブルスプリットでトレーニングし、朝と夕方に500回づつのインクラインシットアップをしたりして、今のコンテスト準備のプログラムから考えると驚異的なトレーニング量を若さゆえにこなしていた、自分としては燃え尽きたシーズンだったような気がする。

 そして、コンテストが終った瞬間に舞台裏で一人泣いていた。
 悔しさではない、終ったと同時になんか自分がひとつのことをやり遂げ、その目標が無くなった時の寂しさから来るものだったような気がするし、また、次の日からジムに行かなくて済む、とか、好きなものが食べられるとか、いろんなことを考え、実際にそれが手に入るんだ、と思ったときのうれしさも含まれていたような気もする。
そして、やっぱり大きかったのは、これから、就職・社会人になるという、新しい世界入り、その中で自分を確立しなければいけないというという責任感からくるということもあったのだろう。
 その新しい世界に関しては、夢や不安もあるけど、新しい世界の中で、自分の世界を確立しなければいけない、自負が強かったのだろう。
 だから、涙が止まらなかった。

御巣鷹山の日、学生時代との別れ

 そして、打ち上げをジムの皆と楽しみ、遅く帰宅し、次の日に遅く起きたら、御巣鷹山の事故のニュースで持ちきりだったのだ。

 あれから、20数年、仕事をプロとしての一チョ前にこなせるようになり、自分の世界が確立できた、と感じたときに、セカンドライフとしてのボディビルに再会したのだ。
そして、今、あのときのような情熱でボディビルを楽しんでいる。
 しかし、その違いは25年前と違って、このボディビルの存在が、自分のライフワークとしての無限ループにおちいりつつあることである。
 エンドレスで人生続く限り楽しみたい、だから、もう舞台裏であの涙は無いだろう、その年にやりつくして、結果が出たときに出る涙はあるかもしれない、しかし、もうこの自分の楽しみを失う寂しさの感情はおきない。

今、現在、この時に充実していた”プロ”の世界から、新しい自分の世界を作ろうとしている自分がここにいる。
このもがいている状況は学生時代から、会社に入りたての新入社員のような感覚である。

 今、友人から旅行に誘われても、トレーニングのスケジュールの調整が出来なければ行かない、行くと決めても、旅行先でジムがあるかどうかの確認、そして、どんなトレーニングが出来るかのチェックをしない限り出かけない。

 もう、人生である。
 やはり、25年前の涙はそのことを失った寂しさで、自分が今、それを楽しめる状況になるまでの寂しさだったのだろう。

 この再会に感謝している。

御巣鷹山の記憶は強いものだった、さまざまな悲しみが自分の学生時代を満喫したボディビルを失ったことと重なったのだろう。
忘れられない。

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