イラン有事におけるホルムズ海峡封鎖とオイルメジャー資産

はじめに

2025年6月19日、シェルのワエル・サワンCEOが東京で「ホルムズ海峡が封鎖されれば、世界の貿易に多大な影響が出る」と警告した。世界の原油取引量の約4分の1が通過するこの海峡の封鎖は、各石油メジャーの資産構成により全く異なる影響をもたらす。本分析では、客観的データに基づき各社への具体的影響を検証する。

第1章:石油メジャー5社の中東資産の実態

Shell:ペルシャ湾への最大依存

Shellの中東戦略は地域全体への分散投資だが、その中核はカタールでの大規模ガス・LNG事業である。Pearl GTL施設はShellが100%運営する世界最大のGTLプラントとして、日産14万バレル相当の高品質液体燃料を生産している。同社のカタールLNG事業は、QatarEnergy LNG N(4)での30%持分で年産780万トン、North Field Eastプロジェクトでの6.25%持分で年産3,200万トン、North Field Southプロジェクトでの9.375%持分で年産1,600万トンと、複数プロジェクトにわたって展開されている。

UAEでは、ADNOC Gas Processingでの15%持分を通じてUAE国内の主要ガス供給事業に参画し、2024年に決定したRuwais LNGプロジェクトでは10%持分で年産960万トンの大規模LNG施設に2028年から参画予定である。オマーンでのPetroleum Development Oman(PDO)34%持分では200以上の油田を運営し、イラクのBasrah Gas Companyでは44%持分で随伴ガス回収事業を展開している。Shellの中東依存度は推定日産40万BOEで、全社生産量の約14%を占める。

ExxonMobil:カタール集中と戦略的撤退

ExxonMobilの中東戦略は選択と集中を徹底した結果、現在カタール、UAE、サウジアラビアの3カ国に集約されている。特に重要なのは2024年1月のイラクWest Qurna-1油田からの完全撤退である。同社は32.7%持分を売却し、イラクエネルギー部門から完全撤退した。

カタールでの存在感は圧倒的で、QatarEnergyの最大パートナーとして5つの主要LNG合弁事業に参画している。年産5,230万トンという世界最大級のLNG権益を保有し、流動ガス能力は日産34億立方フィートに達する。UAEのUpper Zakum油田では約28%持分で、世界第2位の海上油田として日産100万バレルの生産能力達成を目標としている。サウジアラビアでは上流部門ではなく石油化学分野に集中し、Al-Jubail、Yanbu、Aramco Mobil各社で50%持分を保有している。

TotalEnergies:最高の中東依存度

TotalEnergiesは石油メジャー5社中最も高い中東・北アフリカ依存度を示している。2024年実績で同地域から日産80.7万BOEを生産し、これは全社生産量の約30%に相当する。イラクではRatawi油田での生産とGGIPでの早期ガス処理事業を展開し、従来フレアリングされていたガスを回収して発電所向け燃料として供給している。

UAEではSARB Umm Lulu油田群への参画により新たな生産資産を確保し、オマーンではBloc 10ガス田の増産と新たに稼働開始したMarsa LNGプロジェクトで年産100万トンの生産能力を持つ。サウジアラビアではAljomaih Energy and Water Companyとの共同で300MW太陽光発電プロジェクトを受注している。

BP:限定的関与と将来投資

BPの中東戦略は他のメジャーと比較して最も慎重で選択的である。現在の上流資産は極めて限定的で、将来性の高いプロジェクトへの戦略的投資に重点を置いている。イラクでのKirkuk油田群再開発プロジェクトは2025年2月に最終合意に達したが、政府承認待ちの状況にある。

UAEのRuwais LNGプロジェクトでは10%持分で年産960万トンの大規模LNG施設に2028年から参画予定である。エジプトではADNOC傘下のXRGとの51対49合弁でArcius Energyを設立し、中東地域全体でのガス事業展開を計画している。

ConocoPhillips:カタール完全特化

ConocoPhillipsの中東戦略はカタールのLNG事業に完全特化している。QatarEnergy LNG N(3)での30%持分を中核として、年産780万トンのLNG生産能力を持つ。2024年実績では日産8.3万BOE(原油1.3万バレル、NGL 0.8万バレル、天然ガス3.74億立方フィート)を生産している。North Field EastとNorth Field Southプロジェクトでそれぞれ25%持分を保有し、将来的なLNG生産能力拡大の基盤としている。

第2章:ホルムズ海峡封鎖の地理的制約

ペルシャ湾の地理的現実

ペルシャ湾は地理的に袋小路の構造を持ち、唯一の海上出口がホルムズ海峡である。カタール、UAE、サウジアラビア東部、イラク南部、クウェートの全ての海上輸出は物理的にホルムズ海峡を通過する以外に選択肢が存在しない。したがって、これらの国の石油・ガス資産にとって、ホルムズ海峡封鎖は代替輸送ルートの問題ではなく、生産継続か停止かの二者択一となる。

真の代替手段の限界

実際に利用可能な代替手段は極めて限定的である。サウジアラビアのEast-West Pipelineはペルシャ湾岸のRas Tanuraから紅海岸のYanbuまでを結び、日量約500万バレルの輸送能力を持つが、これはサウジアラビア産原油に限定される。イラクのKirkuk-Ceyhan Pipelineは日量約120万バレルの輸送能力があるが、イラク北部原油のみに適用可能である。

カタールやUAEの資産については、陸上パイプラインによる代替輸送は地理的に不可能である。Pearl GTL、カタールLNG、UAE Upper Zakumなどの主要資産は、封鎖期間中の生産停止か、タンカーでの海上備蓄以外に現実的選択肢が存在しない。

第3章:封鎖時の各社への定量的影響

企業中東石油・ガス生産量(BOE/日)封鎖時停止予想年間収入損失(億ドル)北米等からの価格上昇恩恵(億ドル)正味影響(億ドル)
TotalEnergies807,000680,000-1,800+1,200-600
Shell400,000380,000-1,000+1,800+800
ExxonMobil350,000350,000-900+4,500+3,600
BP50,00050,000-130+1,500+1,370
ConocoPhillips83,00083,000-220+2,000+1,780

封鎖により原油価格がWTI基準で80ドルから200ドル、天然ガス価格が現在の3倍に上昇すると仮定した場合の影響を分析した。各社の石油・ガス資産の両方を含む中東生産量に基づき、Pearl GTLやカタールLNGなどのガス関連資産も含めて影響を算出している。各社の非中東資産からの価格上昇恩恵は、ExxonMobilのPermian Basin日産118.5万BOE、ConocoPhillipsの北米資産日産142万BOE、BPの北海・米国資産、Shellの北海・ブラジル・オーストラリア資産からの追加収益として計算した。

結論:ポートフォリオ戦略の脆弱性と強靭性の評価

各社のポートフォリオ脆弱性の根本的差異

ホルムズ海峡封鎖リスクは1980年代のタンカー戦争以来、継続的に認識されてきた地政学的リスクである。しかし、各石油メジャーがこのリスクに対して構築してきたポートフォリオ戦略には根本的な差異が存在する。

TotalEnergiesの戦略的脆弱性は中東・北アフリカ地域への過度な依存に起因している。同社の日産80.7万BOEという中東生産量は、他社を大幅に上回る規模であり、全社生産量の30%という高い依存度を示している。この集中度は、単一の地政学的イベントが全社業績に致命的な打撃を与える構造的リスクを内包している。同社がこのような高リスク戦略を採用してきた背景には、中東・北アフリカ地域での歴史的な事業基盤と、高収益率への期待があったが、地政学的リスク管理の観点からは明らかに不十分であった。

対照的に、ExxonMobilとConocoPhillipsは地政学的リスクフリーの北米資産への集中により、ホルムズ海峡封鎖時に最大の恩恵を享受する構造を構築している。ExxonMobilのPermian Basin日産118.5万BOE、ConocoPhillipsの北米資産日産142万BOEという規模は、中東での損失を大幅に上回る価格上昇恩恵をもたらす。

戦略的方針設定の評価

各社の中東戦略は、ホルムズ海峡封鎖リスクに対する認識と対応方針の違いを明確に反映している。

ExxonMobilの戦略は「選択的撤退と集中」として評価できる。2024年1月のイラク完全撤退は、地政学的リスクの高い地域からの戦略的撤退を示している。同社はカタールとUAEの高収益資産に集中する一方、北米での圧倒的な生産基盤により、中東依存度を全社生産量の約8%に抑制している。この戦略は、ホルムズ海峡封鎖時の損失を最小限に抑え、価格上昇による恩恵を最大化する最適解に近い。

ConocoPhillipsの「北米特化・カタール限定参画」戦略も高く評価される。同社は中東事業をカタールのLNG事業のみに限定し、全社に占める中東依存度を9%に抑制している。この戦略により、地政学的リスクを最小限に抑えながら、世界最大のガス田であるNorth Fieldへのアクセスを確保している。

BPの「慎重な選択的投資」戦略は、現在進行中の戦略転換として注目される。同社は既存の中東資産を極めて限定的に保ち、将来的なプロジェクトへの選択的投資により、リスクとリターンのバランスを図っている。イラクKirkuk油田再開発やUAE Ruwais LNGプロジェクトへの参画は、慎重なリスク評価に基づく戦略的判断として評価できる。

Shellの分散戦略の限界

Shellの「地域分散投資」戦略は、一見リスク分散効果があるように見えるが、ホルムズ海峡封鎖という極端なシナリオ下では限界が露呈している。同社の中東資産は地理的に分散されているものの、Pearl GTLとカタールLNG事業の大部分がホルムズ海峡に依存している構造は変わらない。

特に問題なのは、Shellの中東戦略が「分散によるリスク軽減」という理論に依存しすぎ、単一チョークポイントへの集中リスクを過小評価していたことである。Pearl GTL施設への100%投資、複数のカタールLNGプロジェクトへの参画は、表面的には分散投資に見えるが、実質的にはホルムズ海峡という単一リスクファクターへの集中投資である。

TotalEnergiesの戦略的失敗

TotalEnergiesの中東・北アフリカ戦略は、ホルムズ海峡封鎖リスクに対する認識不足と対応の不備を露呈している。同社が過去数十年にわたって構築してきた地域集中戦略は、短期的な収益最大化を優先し、長期的な地政学的リスクを軽視した結果である。

同社の中東・北アフリカ依存度30%という数値は、石油メジャーとしては明らかに過度であり、ポートフォリオ理論の観点からも不適切な集中度である。イラク、UAE、オマーンでの事業拡大は、個別プロジェクトとしては成功していても、全社レベルでのリスク管理としては不適切だったと言わざるを得ない。

強靭性の格差が示す戦略的教訓

ホルムズ海峡封鎖という極端なシナリオ分析は、各社のポートフォリオ強靭性の格差を明確にしている。ExxonMobilとConocoPhillipsの北米集中戦略、BPの慎重な選択的投資戦略は、地政学的リスクに対する高い強靭性を示している。一方、TotalEnergiesの地域集中戦略とShellの表面的分散戦略は、構造的脆弱性を抱えている。

チョークポイントリスク理論の実証

この分析は従来のポートフォリオ理論の限界を露呈している。伝統的な金融理論では地理的分散がリスク軽減の基本原則とされてきたが、エネルギー産業においては物理的なインフラ制約が理論を無力化する。ホルムズ海峡という単一チョークポイントは、カタール、UAE、イラク、オマーンという地理的に分散した複数国の資産を、実質的に単一リスクファクターに統合してしまう。

Shellの戦略的錯誤は、この物理的制約を軽視し、表面的な地理的分散に安住したことにある。Pearl GTL、QatarEnergy LNG N(4)、North Field East、North Field South、UAE ADNOC Gas Processing、オマーンPDOという6カ国にわたる資産分散は、一見理想的なリスク分散に見える。しかし、これらの大部分が39キロメートル幅の海峡という単一ボトルネックに依存している現実は、分散投資の効果を完全に無効化している。

収益性と安定性のトレードオフの再定義

各社の戦略選択は、収益性と安定性のトレードオフに対する根本的に異なるアプローチを反映している。TotalEnergiesとShellは中東・北アフリカ地域の高い収益率(一般的に15-25%のIRR)に魅力を感じ、短期的な財務パフォーマンスを重視した投資判断を継続してきた。しかし、ホルムズ海峡封鎖というテールリスクが現実化した場合、これらの高収益率は一瞬にして巨額損失に転換する。

対照的に、ExxonMobilとConocoPhillipsは北米シェール資産の相対的に低い収益率(10-15%のIRR)を受け入れる代わりに、地政学的安定性という保険料を支払っている。しかし、封鎖時の価格急騰により、この「保険料」が実は最高のリターンをもたらす投資であったことが判明する。ExxonMobilの年間3,600億ドル、ConocoPhillipsの年間1,780億ドルという正味恩恵は、リスク調整後リターンの概念を根本的に見直すことを迫っている。

情報の非対称性と戦略的意思決定

各社の戦略選択の背景には、地政学的リスクに関する情報の非対称性と解釈の違いが存在する。TotalEnergiesの経営陣は、フランス政府の外交影響力と中東諸国との歴史的関係を過信し、地政学的リスクを過小評価してきた可能性がある。同社の中東・北アフリカ依存度30%という数値は、政治的コネクションによるリスク軽減への過度な信頼を示している。

ExxonMobilの戦略的撤退は、米国政府の中東政策に対する深い理解と、エネルギー安全保障の最優先事項としての位置づけを反映している。同社がイラクから撤退し、カタール・UAE・サウジアラビアに集約した判断は、地政学的リスクの精密な定量化と、各国の政治的安定性に対する冷静な評価に基づいている。

株主価値創造モデルの構造転換

ホルムズ海峡封鎖シナリオは、石油メジャーの株主価値創造モデルに構造的変化をもたらしている。従来の価値創造は、高収益率資産への投資と生産量拡大が中心であったが、地政学的リスクの顕在化により、資産の「場所的価値」が決定的な要因となっている。

ExxonMobilの株主にとって、同社のPermian Basin資産は単なる原油生産資産ではなく、地政学的オプション価値を内包した戦略資産である。ホルムズ海峡封鎖時の価格急騰は、この隠れた価値を顕在化させ、株主に莫大なリターンをもたらす。一方、TotalEnergiesの株主は、同社の中東資産が高収益をもたらす期間中はプレミアムを享受するが、地政学的リスクが現実化した瞬間に壊滅的な損失を被るロシアンルーレット的な投資構造に参加していることになる。

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