第I部で「三つの呪縛」、第II部で「血の配当」を見てきた。45年間、この構造は巧妙なバランスの上に成立していた。しかし2017年、Trump政権とNetanyahu政権の登場がこの均衡を破壊する。無条件支援が制御不能なイスラエルを生み出し、2023年10月7日の惨劇へと至る。第III部では、崩壊のプロセスとその帰結を描く。そして最終的に問う―米国は、この「負の十字架」から逃れることができるのか。
第III部:均衡の崩壊―無条件支援が生んだ制御不能なイスラエル
第7章 Netanyahuの台頭―米国大統領との政治的暗闘(2009-2020年)
7.1 Obama政権との対立―「負の十字架」を盾にした挑戦
2009年1月20日、Barack Obamaが第44代米国大統領に就任した。彼は「チェンジ(変革)」を掲げ、中東政策の見直しを約束していた。特にパレスチナ問題では、入植地拡大の凍結を求め、二国家解決を真剣に推進する姿勢を示した。しかしわずか2ヶ月後の3月31日、イスラエルではBenjamin Netanyahuが首相に就任した。この二人の指導者の出会いは、米国とイスラエル関係における新たな緊張の時代の幕開けとなった。
Netanyahuは、Obamaの中東政策を根本から信頼していなかった。特にObamaがイランとの対話を模索していることに、強い警戒心を抱いていた。2009年5月、ホワイトハウスでの初会談でObamaが入植地凍結を要求すると、Netanyahuは公然と拒否した。「入植地の自然増加は止められない。これはイスラエルの主権問題だ」。米国大統領の要請を、イスラエル首相が公の場で拒絶する―これは前例のない事態であった。
Netanyahuの強気の背景には、「三つの呪縛」に対する深い理解があった。彼は、米国がイスラエルを見捨てることは構造的に不可能であることを知っていた。核密約、Samson Optionの脅威、そして1979年以降の戦略的依存―これらの呪縛が、米国の選択肢を根本的に制約していることを、Netanyahuは誰よりもよく理解していた。彼は、この構造的優位を最大限に活用し、米国の圧力を跳ね返し続けたのである。
2010年3月、副大統領Joe Bidenのイスラエル訪問中に、Netanyahu政権は東エルサレムに1,600戸の入植住宅建設を発表した。これは明白な外交的侮辱であった。Obamaは激怒し、Netanyahuとの会談を中止した。しかし結局、米国はイスラエルへの軍事援助を削減しなかった。2010年度の援助額は30億ドルの水準を維持し、むしろF-35ステルス戦闘機の優先供与が約束された。Netanyahuの読みは、完全に正しかったのである。
表7-1: Obama政権期の米国対イスラエル軍事援助(2009-2016年、単位:10億ドル)
年度 | 軍事援助額 | 主要供与兵器 | 特記事項 |
2009 | 2.55 | F-16、AH-64ヘリ追加分 | Netanyahu政権発足 |
2010 | 2.775 | F-35優先供与契約 | Biden訪問時の入植地発表事件 |
2011 | 3.0 | Iron Dome共同開発支援開始 | 「アラブの春」開始 |
2012 | 3.1 | Iron Dome追加配備 | Pillar of Defense作戦 |
2013 | 3.1 | V-22オスプレイ供与契約 | シリア内戦激化 |
2014 | 3.1 | 緊急弾薬補給(Protective Edge作戦) | Gaza大規模攻撃 |
2015 | 3.1 | F-35初号機引渡開始 | Iran核合意、Netanyahu議会演説 |
2016 | 3.1 | 精密誘導爆弾追加供与 | 10年380億ドル合意署名 |
合計 | 24.025 | – | 年平均30億ドル |
7.2 Iran核合意とNetanyahuの「反乱」―米国議会での演説
2013年、Obamaはイランとの核協議を本格化させた。目的は、外交的手段でイランの核開発を制限し、中東での軍事衝突を回避することであった。しかしNetanyahuにとって、これは悪夢のシナリオであった。もし米国とイランが和解すれば、イスラエルの戦略的価値は相対的に低下する。1979年以降確立された「イスラエルが唯一の信頼できる拠点」という構造が崩れる可能性があった。
Netanyahuは、Iran核合意を阻止するために、前例のない行動に出た。2015年3月3日、米国議会の招待を受けて、Obamaに事前通告せずに米国議会で演説を行ったのである。これは外交プロトコルの重大な違反であった。外国首脳の議会演説は、通常、大統領府と事前調整される。しかしNetanyahuは、Obama政権を迂回し、共和党が支配する議会に直接訴えかけた。
演説でNetanyahuは、Iran核合意を「歴史的な誤り」と激しく非難した。「この合意は、イランへの核兵器への道を開くものだ。イランは中東を支配し、イスラエルを破壊しようとしている。米国はイランを信頼してはならない」。議会の共和党議員たちは、29回のスタンディングオベーションで彼を迎えた。一方、民主党議員の多くは演説をボイコットした。Netanyahuは、米国の国内政治を分断してまで、自国の利益を追求したのである。
Obamaは激怒した。「Netanyahuは、中東の現実を理解していない。彼は代替案を示さずに、ただ批判するだけだ」。しかし結局、Obamaはイランとの合意を推進し、2015年7月、包括的共同行動計画(JCPOA)が締結された。Netanyahuは敗北したかに見えた。しかし彼は、この「屈辱」を決して忘れなかった。そして2年後、彼に復讐の機会が訪れることになる。
表7-2: Obama-Netanyahu関係の主要対立事件(2009-2016年)
年月 | 出来事 | Obama政権の立場 | Netanyahu政権の対応 | 結果 |
2009年5月 | ホワイトハウス初会談 | 入植地凍結要求 | 公然拒否 | 凍結実現せず |
2010年3月 | Biden訪問中の入植地発表 | 強い抗議、会談中止 | 謝罪せず建設継続 | 米国の圧力無効化 |
2011年5月 | Obama、1967年境界線基準提案 | 二国家解決推進 | 「防衛不可能」と即座に拒否 | 提案事実上撤回 |
2014年7-8月 | Protective Edge作戦 | 停戦呼びかけ | 51日間作戦継続 | 2,251人死亡後に停戦 |
2015年3月 | Netanyahu議会演説 | 「外交プロトコル違反」と非難 | Iran核合意阻止試み | 合意は成立 |
2016年12月 | 国連安保理決議2334 | 米国が拒否権行使せず | 「裏切り」と激しく非難 | 入植地違法決議採択 |
7.3 Trump第一期政権―「完璧な同盟」の誕生
2017年1月20日、Donald Trumpが第45代米国大統領に就任した。Netanyahuにとって、これは天の恵みであった。TrumpとNetanyahuは、イデオロギー的にも個人的にも親和性が高かった。Trumpの娘婿Jared Kushnerは、Netanyahuと家族ぐるみの付き合いがあり、ホワイトハウスで中東政策を担当した。
Trump政権は、イスラエルに対して前例のない便宜を図った。2017年12月、Trumpはエルサレムをイスラエルの首都と認定し、米国大使館のエルサレム移転を宣言した。国際社会は一斉に反対したが、Trumpは意に介さなかった。2018年5月14日、エルサレムに米国大使館が開設された。その同じ日、Gazaでは「帰還大行進」に参加していたパレスチナ人にイスラエル軍が発砲し、58人が死亡した。しかしTrump政権は、イスラエルの「自衛権」を支持した。
2018年5月、TrumpはIran核合意から一方的に離脱し、イランに対する「最大圧力」政策を開始した。これはNetanyahuの長年の悲願であった。さらに2019年3月、Trumpはイスラエルのゴラン高原併合を承認した。2020年1月には、「中東和平案(Deal of the Century)」を発表したが、その内容はイスラエルの要求をほぼ全面的に受け入れたものであった。パレスチナ自治政府は、この「和平案」を即座に拒否した。
Trump政権期の4年間で、米国の対イスラエル政策は歴史的転換を遂げた。従来、米国は表向き「公平な仲介者」を装い、パレスチナ問題では形式的にも両論併記の姿勢を取っていた。しかしTrump政権は、この建前すら放棄し、イスラエルの立場を無条件に支持した。Netanyahuは、米国大統領を完全に味方につけることに成功したのである。
表7-3: Trump第一期政権のイスラエル支持政策(2017-2020年)
年月 | 政策 | 国際社会の反応 | パレスチナへの影響 |
2017年12月 | エルサレムを首都認定 | 国連総会で非難決議128カ国賛成 | 東エルサレム併合既成事実化 |
2018年5月 | 米国大使館エルサレム移転 | アラブ諸国強く抗議 | 同日Gaza「帰還大行進」で58人死亡 |
2018年5月 | Iran核合意離脱 | 欧州諸国反対 | イラン・イスラエル対立激化 |
2018年8月 | UNRWA(国連パレスチナ難民救済機関)への拠出停止 | 国連事務総長が懸念表明 | 難民支援崩壊、人道危機悪化 |
2019年3月 | ゴラン高原のイスラエル主権承認 | アラブ連盟・国連が無効宣言 | シリア領土併合の国際承認 |
2019年11月 | West Bank入植地は国際法違反でないと表明 | EU・国連が国際法違反と反論 | 入植地拡大加速 |
2020年1月 | 中東和平案発表 | パレスチナ自治政府即座に拒否 | エルサレム分割なし、難民帰還権否定 |
2020年8-9月 | Abraham協定(UAE・バーレーン国交正常化) | アラブ諸国の一部が追随 | パレスチナ問題の周辺化 |
7.4 Biden政権とNetanyahuの再対立―構造は変わらず
2021年1月20日、Joe Bidenが第46代大統領に就任した。Biden自身は親イスラエル派として知られていたが、Obama政権で副大統領を務めた経験から、Netanyahuとの関係には複雑な感情を抱いていた。Biden政権は、Trump政権の極端な親イスラエル政策を修正し、パレスチナとの対話を部分的に再開した。
しかしNetanyahuは、Biden政権の政策転換を警戒した。特にBidenがIran核合意への復帰を模索していることに、強く反対した。2021年5月、Netanyahuは11日間にわたる「Guardian of the Walls(城壁の守護者)」作戦を実施し、Gazaを攻撃した。256人のパレスチナ人が死亡し、そのうち66人が子供であった。Biden政権は停戦を呼びかけたが、Netanyahuは11日目まで攻撃を継続した。
2022年11月、Netanyahuは極右政党との連立により、再び首相に返り咲いた。この第六次Netanyahu政権は、イスラエル史上最も右傾化した政権であった。連立パートナーには、パレスチナ人の「移送(追放)」を公然と主張する極右政治家が含まれていた。Biden政権は懸念を表明したが、軍事援助は継続された。2023年度の対イスラエル軍事援助は38億ドルに達し、史上最高水準を記録した。
2009年から2020年までの12年間、Netanyahuは3人の米国大統領と対峙した。Obamaとは激しく対立し、Trumpとは蜜月関係を享受し、Bidenとは緊張関係を再開した。しかし一貫していたのは、どの大統領もNetanyahuを実質的に制約できなかったという事実である。「三つの呪縛」は、個々の大統領の意志を超えて、米国の行動を縛り続けていた。そしてこの構造が、2023年10月以降のGaza戦争における米国の無力さへと直結していくのである。
表7-4: 三政権とNetanyahu関係比較(2009-2020年)
政権 | 期間 | 関係の性質 | 主要対立点 | 軍事援助 | Netanyahuの戦略 |
Obama | 2009-2016 | 緊張・対立 | 入植地、Iran核合意、二国家解決 | 年平均30億ドル維持 | 「負の十字架」を盾に圧力無視 |
Trump | 2017-2020 | 蜜月 | 対立なし(完全支持) | 年平均38億ドルに増額 | 米国政策の完全取り込み |
Biden | 2021-2024 | 緊張 | Iran政策、入植地、極右連立 | 年平均38億ドル維持 | Obama期の戦略再現 |
表7-5: 2009-2020年の主要出来事年表
年月 | 出来事 | 米国の対応 | Netanyahu政権の行動 | 戦略的意義 |
2009年3月 | Netanyahu、首相就任(第二次) | Obama政権と緊張関係開始 | 入植地拡大継続 | 対立の時代開始 |
2010年5月 | Mavi Marmara号事件(Gaza支援船襲撃) | 国際調査委設置支持 | 封鎖継続 | 9人死亡、国際非難 |
2012年11月 | Pillar of Defense作戦 | 停戦仲介 | 8日間で167人殺害 | Iron Dome実戦配備 |
2014年7-8月 | Protective Edge作戦 | 停戦呼びかけ | 51日間で2,251人殺害 | 最大規模Gaza攻撃 |
2015年3月 | Netanyahu米国議会演説 | Obama激怒 | Iran核合意阻止試み | 前例なき外交プロトコル違反 |
2015年7月 | Iran核合意(JCPOA)締結 | Obama主導で成立 | 強く反対 | Netanyahu「敗北」 |
2017年1月 | Trump大統領就任 | 親イスラエル政策全面展開 | 蜜月関係開始 | 戦略環境激変 |
2018年5月 | 米国大使館エルサレム移転 | Trump実行 | 「歴史的勝利」と称賛 | 国際法違反の既成事実化 |
2020年8月 | Abraham協定 | Trump仲介 | UAE・バーレーンと国交正常化 | パレスチナ問題周辺化 |
2020年末、Netanyahuは12年間の首相在任を通じて、イスラエルの戦略的立場を大幅に強化していた。米国との関係では、「三つの呪縛」を最大限に活用し、米国大統領の圧力を跳ね返し続けた。中東では、Abraham協定によりアラブ諸国との関係を改善し、パレスチナ問題を周辺化することに成功した。そして国内では、極右勢力との連携を深め、パレスチナ人への抑圧を強化した。この全ての要素が、2023年10月以降の大惨事への道を準備していたのである。
第8章 破滅への加速―Biden政権期(2021-2025年1月)とTrump第2期開始(2025年1月-)、Gaza壊滅、Netanyahuの窮地(2021-2025年)
8.1 汚職裁判の泥沼―Netanyahuの法的窮地
2019年11月21日、イスラエル検察総長は、現職首相Benjamin Netanyahuを汚職、詐欺、背任の罪で正式に起訴した。イスラエル史上初めて、現職首相が刑事訴追される前例のない事態であった。起訴内容は、三つの事件(Case 1000、Case 2000、Case 4000)から構成されていた。
**Case 1000(贈収賄事件)**では、Netanyahuとその妻Saraが、2007年から2016年にかけて、富裕な実業家Arnon MilchanとJames Packerから、総額約70万シェケル(約2,800万円)相当の贈答品を受け取ったとされた。贈答品には、高級シャンパン、葉巻、宝飾品が含まれていた。見返りとして、NetanyahuはMilchanのビジネス上の便宜を図り、米国ビザ取得を支援したとされた。
**Case 2000(詐欺事件)**では、Netanyahuがイスラエルの大手新聞Yedioth Ahronothの発行者Arnon Mosesと秘密裏に交渉し、ライバル紙Israel Hayomの発行部数を制限する法案を推進する見返りに、Yedioth Ahronothに好意的な報道を求めたとされた。この交渉は録音されており、決定的証拠となった。
**Case 4000(汚職事件、最も重大)**では、Netanyahuが通信大手Bezeq社のオーナーShaul ElovitchにBezeq社に有利な規制決定を行う見返りに、Elovitch所有のニュースサイトWallaに自身と家族に好意的な報道を要求したとされた。この事件では、数百件のメッセージ記録が証拠として提出され、Netanyahuと側近がメディア報道を細かく操作しようとしていた実態が明らかになった。
もしすべての罪で有罪となれば、Netanyahuは最大10年の実刑判決を受ける可能性があった。さらに重要なのは、有罪判決により首相の座を失い、政治生命が完全に終わることであった。Netanyahuにとって、首相の座は単なる権力ではなく、法的保護の盾であり、政治的生存そのものであった。
裁判は2020年5月に開始されたが、Netanyahuは「政治的魔女狩り」「左派とメディアの陰謀」と主張し、一切の罪を否認した。彼は、法廷闘争を引き延ばすあらゆる戦術を駆使した。2021年から2022年にかけて、イスラエルは2年間で5回の総選挙を繰り返したが、その背景にはNetanyahuが自身の裁判を政治的に無効化できる連立政権を樹立しようとする執念があった。
表8-1: Netanyahuの汚職事件詳細
事件名 | 容疑 | 主要関係者 | 疑惑の内容 | 最大刑期 |
Case 1000 | 贈収賄 | 実業家Arnon Milchan、James Packer | 高級品(シャンパン、葉巻、宝飾品)総額70万シェケル受領、見返りにビジネス便宜 | 3年 |
Case 2000 | 詐欺 | Yedioth Ahronoth発行者Arnon Moses | ライバル紙規制の見返りに好意的報道要求(録音証拠あり) | 3年 |
Case 4000 | 汚職・背任 | 通信大手BezeqオーナーShaul Elovitch | 規制優遇の見返りにニュースサイトWallaでの好意的報道要求(メッセージ記録数百件) | 10年 |
合計 | – | – | – | 最大16年 |
8.2 Trump第一期との亀裂―Soleimani作戦不参加とBiden祝福
8.2.1 Soleimani暗殺作戦への不参加―最初の裏切り
2020年1月3日午前1時、バグダッド国際空港でドローンによる爆撃が行われた。標的は、イランIslamic Revolutionary Guard Corps(革命防衛隊)のQuds Force司令官Qasem Soleimaniであった。Soleimaniは中東全域でのイランの軍事作戦を指揮する最重要人物であり、米国にとってもイスラエルにとっても最大の脅威の一人であった。彼はレバノンのHezbollah、イラクのシーア派民兵、シリアのAssad政権、イエメンのHouthiを支援し、「イランの中東支配」の実行者とされていた。
Trump政権は、この暗殺作戦を数週間前から準備していた。Soleimaniの動向を追跡し、バグダッド訪問の情報を入手し、MQ-9 Reaper無人機による精密攻撃を計画した。そしてこの作戦において、Trumpは最も親密な同盟国イスラエルに参加を打診した。イスラエルにとって、Soleimaniは文字通りの宿敵であり、彼の排除はイスラエルの安全保障上の最優先事項の一つであった。
しかしNetanyahuは、作戦への直接参加を拒否した。彼は、イスラエルが米国の作戦に公然と関与することで、イランの直接報復を招くことを恐れた。さらに、もし作戦が失敗した場合、イスラエルが国際的非難を浴びるリスクも計算した。Netanyahuは、米国に情報提供の形で協力したとされるが、直接的な軍事行動には参加しなかった。米国が単独で作戦を実行し、責任も単独で負うことを選んだのである。
1月3日、作戦は成功し、Soleimaniとイラクのシーア派民兵組織の副司令官Abu Mahdi al-Muhandisが殺害された。Trumpは、この作戦を「イランのテロリズムへの決定的打撃」として誇った。しかしTrumpの側近たちは、Netanyahuの不参加に強い不満を抱いていた。「我々はイスラエルのために、最大の敵を始末した。それなのに彼らは手を汚すことを拒否した。最も得をしたのはイスラエルなのに」。
1月8日、イランは報復として、イラク内の米軍基地にミサイル攻撃を行った。米兵110名以上が脳震盪などの負傷を負った。米国だけがリスクと犠牲を負い、イスラエルは安全な距離から利益を享受した―この構図が、Trumpの不満の種となった。
8.2.2 Biden祝福―決定的な裏切り
そしてSoleimani作戦からわずか10ヶ月後、Trumpの不満は怒りへと変わる出来事が発生した。
2020年11月7日、米国メディアが民主党のJoe Bidenの当選確実を報じた。この時、世界各国の首脳は当選祝賀を控え、Trumpの法廷闘争を見守る慎重な姿勢を取っていた。英国のBoris Johnson首相、フランスのEmmanuel Macron大統領、ドイツのAngela Merkel首相ら、欧米主要国の首脳たちは、数日間様子を見守った。
しかしNetanyahuは、わずか12時間後の11月8日早朝、他のどの主要国首脳よりも早くBidenに祝賀メッセージを送った。
「Joe、Jill、おめでとう。あなたとは長年の友人であり、私は米国との強固な同盟、そして両国の友情を大切にしてきた。共に仕事ができることを楽しみにしている」。
このメッセージは、Trumpにとって二重の裏切りと映った。第一に、Trumpは「選挙は盗まれた」と主張し、敗北を認めていなかった。第二に、最も親密な同盟者であるはずのNetanyahuが、誰よりも早くBidenを祝福したことは、Trump個人への忠誠心の欠如を示していた。
さらに屈辱的だったのは、Netanyahuが同時に公開したビデオメッセージであった。その中でNetanyahuは、Biden副大統領時代からの「長年の友情」を強調し、Trumpへの言及は最後に形式的に「Trump大統領の友情にも感謝する」と付け加えただけであった。明らかに、Netanyahuは次期政権との関係を優先し、Trumpを見捨てたのである。
Trump側近の証言によれば、Trumpはこのニュースを見て激怒し、「あのクソ野郎(Bibi)が最初に祝福しやがった。俺が何をしてやったと思ってる。Soleimaniを始末してやったのに、奴は手を汚さなかった。そして今、俺が最も苦しい時に、真っ先にBidenに尻尾を振りやがった」と叫んだという。
TrumpはNetanyahuのために、前例のない便宜を図っていた。2017年のエルサレム首都認定、2018年の米国大使館エルサレム移転、2018年のIran核合意離脱、2019年のゴラン高原のイスラエル主権承認、2020年のAbraham協定仲介―これらすべてが、国際社会の反対を押し切ってTrumpが実現した「贈り物」であった。にもかかわらず、Netanyahuは政治的に「勝ち馬に乗った」のである。
2021年12月、退任後のTrumpは保守系メディアのインタビューで、Netanyahuを「忠誠心のない人間(disloyal guy)」と呼び、次のように述べた。
「私がイスラエルのためにやったことは、どの大統領よりも多い。エルサレム、ゴラン、Iran核合意離脱、すべて私がやった。それなのに彼は、選挙後、誰よりも早くBidenを祝福した。彼は私がまだ戦っている最中に、私を見捨てた。Fuck him(クソくらえ)。彼は私を裏切った」。
この公の場での罵倒は、両者の関係が決定的に悪化していることを示していた。さらにTrumpは、2023年の自伝的著書でもNetanyahuを批判し、「彼は私が落選したら、すぐに私を忘れた。彼は利用価値がなくなった友人を捨てる男だ」と記した。
表8-2: Trump第一期政権のイスラエル支援とNetanyahuの「裏切り」対比
年月 | Trumpの支援 | Netanyahuの対応 | Trump側の期待 | 実際の結果 |
2017年12月 | エルサレム首都認定 | 「歴史的勝利」と絶賛 | 無条件の忠誠 | 利益享受のみ |
2018年5月 | Iran核合意離脱 | 長年の悲願達成と称賛 | Iran問題での共闘 | 作戦協力拒否 |
2019年3月 | ゴラン高原主権承認 | 「Trump高原」命名提案 | 政治的支持継続 | 選挙後即座に見捨て |
2020年1月 | Soleimani暗殺作戦 | 直接参加拒否 | 共同作戦実施 | 情報提供のみ、米単独リスク負担 |
2020年8月 | Abraham協定仲介 | Netanyahuの選挙勝利に貢献 | 選挙支持 | – |
2020年11月 | Trump敗北(係争中) | 即座にBiden祝福 | 最低限の沈黙 | 世界で最も早い「裏切り」 |
8.3 司法改革とイスラエル国内分裂―生き残りのための賭け
2022年11月、Netanyahuは5回目の選挙を経て首相に返り咲いた。しかしこの第六次Netanyahu政権は、イスラエル史上最も脆弱で、最も危険な政権であった。彼の政治生命は、汚職裁判により文字通り断崖絶壁に立っていた。
この窮地を脱するため、Netanyahuは極右政党との連立を選択した。Religious Zionism党のBezalel Smotrich(財務相兼West Bank担当相)、Jewish Power党のItamar Ben-Gvir(国家安全保障相)といった極右政治家に閣僚ポストを与えた。彼らは、パレスチナ人の「移送(追放)」を公然と主張し、West Bankへの入植地拡大を最優先政策とする人物たちであった。Ben-Gvirは過去に極右テロ組織Kachのメンバーであり、米国国務省がテロ組織指定していた団体を支持していた人物である。
2023年1月4日、Netanyahu政権は「司法改革」案を発表した。表向きは「民主主義の強化」「エリート司法の暴走阻止」を謳っていたが、実質的には最高裁判所の権限を弱体化させ、議会(Knesset)の権力を絶対化する内容であった。主な内容は、(1)最高裁が法律を違憲無効とする権限の事実上の剥奪、(2)閣僚の法律顧問を政治任命化、(3)裁判官任命委員会への政治介入強化、であった。もしこの改革が実現すれば、Netanyahu自身の汚職裁判も議会の政治的決定で無効化できる可能性があった。
この司法改革案に対して、イスラエル国内で史上最大規模の抗議運動が発生した。毎週土曜日、Tel Avivやエルサレム、Haifaで数十万人が街頭に繰り出し、「民主主義を守れ」「独裁に反対」と叫んだ。2023年3月のピーク時には、一日で50万人以上が抗議デモに参加した(イスラエル総人口約960万人の5%以上)。予備役空軍パイロットや特殊部隊員の一部は、「司法改革が実施されれば予備役招集に応じない」と宣言した。イスラエル軍元参謀総長や諜報機関Mossad・Shin Bet元長官たちは、「この改革は国家の安全保障を危険に晒す。軍の団結を破壊する」と異例の警告を発した。
イスラエル社会は、深刻に分裂した。世俗派とリベラル層は「民主主義の終焉」として改革に反対し、宗教保守派と極右支持者は「エリート司法への民衆の反乱」として改革を支持した。経済界も懸念を表明し、ハイテク企業経営者たちは「司法の独立性喪失は投資環境を破壊する」として反対した。実際、2023年前半、外国投資は急減し、シェケルは下落した。
しかしNetanyahuは、改革を強行しようとした。彼にとって、司法改革は政治的生存のための唯一の道であった。2023年7月24日、最高裁の権限を制限する法案の第一段階(「合理性基準」の適用除外)が、Knessetで64対0で可決された(野党は投票をボイコット)。イスラエル社会の分裂は、修復不可能な段階に達していた。そしてこの内部分裂と軍の士気低下が、わずか2ヶ月半後の10月7日の大惨事を招く素地となったのである。
表8-3: Netanyahu第六次政権の主要閣僚(2022年12月-)
閣僚 | 所属政党 | 担当 | 政治的立場・背景 |
Benjamin Netanyahu | Likud | 首相 | 汚職・詐欺・背任で起訴中、司法改革で裁判無効化図る |
Bezalel Smotrich | Religious Zionism | 財務相・West Bank担当相 | 入植地拡大推進、「パレスチナ人など存在しない」発言、パレスチナ国家反対 |
Itamar Ben-Gvir | Jewish Power | 国家安全保障相 | パレスチナ人「移送」主張、過去にテロ組織Kach支持、27回逮捕歴 |
Yoav Gallant | Likud | 国防相 | 司法改革に一時反対表明→Netanyahu解任発表→大規模抗議で撤回 |
Eli Cohen | Likud | 外相 | Netanyahu側近 |
Yariv Levin | Likud | 法相 | 司法改革の主要立案者・推進者 |
8.4 2023年10月7日―Hamas攻撃とイスラエルの「諜報失敗」
2023年10月7日午前6時30分、HamasはGazaからイスラエルに対して大規模攻撃を開始した。数千発のロケット弾がイスラエル南部に発射され、同時に約3,000名のHamas戦闘員がGaza境界フェンスを突破してイスラエル領内に侵入した。彼らは、国境付近の入植地や軍事基地を襲撃し、民間人を無差別に殺害した。音楽フェスティバル会場では、260名以上の若者が虐殺された。最終的に、この攻撃でイスラエル側の死者は約1,200人に達し、約240名が人質としてGazaに連れ去られた。
この攻撃は、イスラエルにとって史上最悪の諜報失敗であった。イスラエルは、世界最高水準の諜報機関MossadとShin Bet、そして最先端の監視技術を持っていた。Gaza境界には、センサー、監視カメラ、自動銃塔が配備され、「世界で最も厳重に警備された境界」とされていた。それにもかかわらず、Hamasの大規模攻撃準備を事前に察知できなかった。
後の調査で、驚くべき事実が明らかになった。イスラエル諜報機関は、実は攻撃の数週間前に警告情報を受け取っていた。エジプト情報機関は9月下旬、「Hamasが大規模作戦を準備している」と警告していた。イスラエル軍内部でも、女性監視兵たちがGaza境界での異常な動き(訓練の増加、物資の集積)を報告していた。しかしこれらの警告は、すべて無視された。
なぜか。Netanyahuと軍首脳部は、司法改革をめぐる国内の政治危機に没頭しており、Gazaからの脅威を過小評価していた。さらにNetanyahuは、「Hamasを存続させることは、パレスチナ国家樹立を阻止する最良の方法だ」という戦略を長年採用していた。彼は意図的にHamasを弱体化させず、West BankのPalestinian Authority(PA)との分断を維持していた。Netanyahuは2019年、Likud党の会合で「Hamasを支援することは、パレスチナ国家樹立を阻止する戦略の一部だ」と述べたことが記録されている。この戦略が、10月7日の悲劇を招いたのである。
表8-4: 2023年10月7日Hamas攻撃の被害
項目 | 数値 | 詳細 |
イスラエル側死者 | 約1,200人 | うち民間人約800人、兵士約400人 |
人質 | 約240人 | Gazaに連行、2025年5月時点で一部解放・一部死亡確認 |
負傷者 | 約5,400人 | – |
攻撃方法 | ロケット弾数千発+地上侵入 | 境界フェンス突破、パラグライダー侵入、海上侵入も |
主要攻撃地点 | 音楽フェスティバル、Kibbutz入植地、軍事基地 | Re’im音楽祭で260人以上虐殺 |
事前警告 | エジプト情報機関、軍監視兵 | すべて無視された |
8.5 Gaza壊滅作戦―「自衛」の名による大量虐殺
10月7日の攻撃から数時間後、Netanyahu首相は「我々は戦争状態にある」と宣言した。10月9日、国防相Yoav Gallantは、Gazaへの完全包囲を命じ、「我々は人間の獣(human animals)と戦っている。それに応じて行動する。電気もなく、食料もなく、燃料もない。すべて封鎖する」と述べた。これは、230万人の民間人に対する集団懲罰の明確な宣言であった。
10月27日、イスラエル地上軍がGazaに侵攻した。作戦の公式目的は「Hamasの壊滅と人質救出」であった。しかし実際の作戦は、Gaza全域の組織的破壊へとエスカレートした。イスラエル空軍は、Gaza北部に対して第二次世界大戦以降最も密度の高い爆撃を実施した。2ヶ月間で投下された爆弾の総量は、推定2万9,000トン(広島原爆の約2倍の爆発力に相当)に達した。
病院、学校、モスク、住宅地―あらゆる建造物が攻撃対象となった。イスラエルは、これらの施設が「Hamasの軍事拠点として使用されている」と主張したが、その証拠は乏しかった。国連が運営する避難所すら攻撃され、避難していた民間人が殺害された。2024年1月までに、Gazaの住宅の60%以上が破壊または損傷を受けた。230万人の住民のうち、190万人以上が避難を強いられ、難民となった。
医療システムは完全に崩壊した。Gazaには36の病院があったが、2024年3月までに機能しているのはわずか数箇所のみとなった。医薬品、麻酔薬、手術用具が枯渇し、医師たちは麻酔なしで手術を行わざるを得なかった。下肢を切断された子供たちの映像が、世界中に拡散された。
飢餓も組織的に使用された。イスラエルは、Gazaへの食料、水、燃料の搬入を極度に制限した。2024年2月、国連は「Gaza北部で飢饉が差し迫っている」と警告した。子供たちが栄養失調で死亡し始めた。国際刑事裁判所(ICC)の検察官は、2024年5月、「飢餓を戦争の手段として使用した」としてNetanyahuとGallant国防相の逮捕状を請求した。
表8-5: Gaza戦争の被害統計(2023年10月7日-2025年5月19日停戦まで)
項目 | 数値 | 備考 |
パレスチナ側死者 | 51,000人以上 | うち子供約17,000人、女性約11,000人 |
負傷者 | 103,000人以上 | 医療システム崩壊で正確な統計困難 |
行方不明者 | 約10,000人 | 瓦礫の下で推定 |
避難民 | 190万人以上 | Gaza人口の約85% |
住宅破壊 | 60-70%が破壊・損傷 | 約370,000戸 |
病院機能停止 | 36箇所中32箇所 | 医療崩壊 |
学校・大学破壊 | ほぼ全て損傷 | 教育システム崩壊 |
インフラ破壊 | 電力・水道・下水道ほぼ全滅 | 公衆衛生危機 |
投下爆弾総量 | 推定70,000トン以上 | 広島原爆の約2倍の爆発力 |
8.6 米国の沈黙と拒否権の連続行使―「負の十字架」の完全顕現
Gaza戦争が開始されてから、国際社会は即座に停戦を求めた。国連安全保障理事会では、停戦を求める決議案が繰り返し提出された。しかし米国は、これらの決議案に対して拒否権を行使し続けた。
2023年10月18日、ブラジルが提出した「人道的停戦」を求める決議案に、米国は拒否権を行使した。10月25日、ロシアが提出した停戦決議案にも、米国は拒否権を行使した。12月8日、UAE主導の停戦決議案も、米国の拒否権で阻止された。2024年2月20日、アルジェリアが提出した即時停戦決議案にも、米国は拒否権を行使した。
Biden大統領は、公式声明では「民間人の犠牲を最小化すべき」と述べ、Netanyahuに「自制」を求めた。しかし実際の行動は、イスラエルへの無制限支援であった。2023年10月から2024年12月までの間に、米国はイスラエルに対して総額180億ドル以上の軍事支援を実施した。精密誘導爆弾、砲弾、戦闘機用燃料―Gazaでの虐殺に使用される武器が、米国から供給され続けた。
議会では、一部の民主党議員がイスラエルへの軍事援助に条件を付けるべきだと主張した。しかしBidenは、「イスラエルの安全保障は交渉の余地がない」として、無条件支援を継続した。国務省の一部職員は、「大量虐殺への加担」を理由に辞任した。しかしBiden政権の政策は変わらなかった。
この米国の姿勢は、「三つの呪縛」が完全に機能していることを示していた。核密約、Samson Option、そして1979年以降の戦略的依存―これらの呪縛が、5万人以上の死者を前にしても、米国の行動を完全に縛っていたのである。Biden自身、2010年にNetanyahuから侮辱を受けた経験を持ち、個人的にはNetanyahuを嫌っていた。しかし大統領としての彼は、構造的制約から逃れることができなかった。
表8-6: 国連安保理でのGaza停戦決議と米国拒否権(2023年10月-2024年12月)
日付 | 提案国 | 決議内容 | 米国の対応 | 投票結果 |
2023年10月18日 | ブラジル | 人道的停戦 | 拒否権行使 | 賛成12、反対1(米)、棄権2 |
2023年10月25日 | ロシア | 即時停戦 | 拒否権行使 | 賛成4、反対1(米)、棄権10 |
2023年12月8日 | UAE | 即時人道的停戦 | 拒否権行使 | 賛成13、反対1(米)、棄権1(英) |
2024年2月20日 | アルジェリア | 即時停戦 | 拒否権行使 | 賛成13、反対1(米)、棄権1(英) |
2024年3月25日 | 選挙理事会メンバー | 即時停戦(Ramadan期間) | 米国棄権(初) | 賛成14、反対0、棄権1(米) |
2024年11月20日 | 複数国 | 即時無条件停戦 | 拒否権行使 | 賛成14、反対1(米) |
8.7 Trump第二期政権とNetanyahuの窮地―関係の冷却と圧力
2025年1月20日、Donald Trumpが第47代大統領として再就任した。Netanyahuは、再びTrumpという「完璧な同盟者」を得たかに見えた。しかし状況は、2017年の第一期政権時とは根本的に異なっていた。
第一に、Trump自身がNetanyahuに対して深い不信感を抱いていた。Soleimani作戦不参加とBiden祝福の「二重の裏切り」は、Trumpの記憶に深く刻まれていた。就任式の翌日、Trumpはインタビューで「Bibiとは話すが、彼が私にしたことは忘れていない」と述べた。
第二に、イスラエルの財政状況が危機的であった。19ヶ月間の戦争は、イスラエル経済に壊滅的打撃を与えていた。戦費は月間約50億ドルに達し、2023年10月からの累計戦費は1,000億ドルを超えた。これはイスラエルGDP(約5,000億ドル)の約20%に相当する。予備役動員により、労働人口の約10%が経済活動から離脱し、生産性は急落した。国際格付け機関は、イスラエルの信用格付けを相次いで引き下げた。2025年3月、Moody’sはイスラエルの格付けを「投資適格」から「ジャンク(投機的)」に引き下げた。
第三に、国際的孤立が深刻化していた。2024年5月、ICC検察官がNetanyahuとGallantの逮捕状を請求した。同年7月、国際司法裁判所(ICJ)は、イスラエルの占領政策が国際法違反であるとの勧告的意見を発表した。欧州諸国の多くは、イスラエルとの外交関係を格下げし、一部は武器禁輸を実施した。南アフリカが提起した「ジェノサイド条約違反」の訴訟も、ICJで審理が継続されていた。
第四に、イスラエル国内でNetanyahuへの批判が爆発していた。10月7日の諜報失敗の責任、人質救出の失敗、戦争の長期化―すべてがNetanyahuに向けられた。世論調査では、Netanyahu支持率は20%台に低下し、70%以上が「戦後に辞任すべき」と回答した。しかしNetanyahuは、辞任すれば汚職裁判で有罪判決を受ける可能性があるため、権力にしがみついた。彼は戦争を継続することで、政治的生き残りを図っていたのである。
Trump第二期政権は、Netanyahuに圧力をかけ始めた。Trumpは、2025年1月の就任演説で「終わりなき戦争の時代を終わらせる」と宣言していた。2月、TrumpはNetanyahuに電話で「早く戦争を終わらせろ。これ以上続けば、米国も巻き込まれる。私は中東の戦争で大統領任期を無駄にするつもりはない」と述べたとされる。さらにTrumpは、「お前は俺を裏切った。だからこそ、今回は俺の言うことを聞け」と付け加えたという。
しかしNetanyahuは、停戦交渉を引き延ばし続けた。彼にとって、戦争終結は政治生命の終わりを意味した。戦争が終われば、国内で責任追及が始まり、汚職裁判も再開される。Netanyahuは、自己保身のために、戦争を継続しようとしたのである。
表8-7: イスラエルの財政・経済危機指標(2023-2025年)
指標 | 戦前(2023年9月) | 戦争期(2025年3月) | 変化 |
累計戦費 | – | 約1,000億ドル | GDP比20% |
月間戦費 | – | 約50億ドル | – |
GDP成長率 | +2.5% | -3.0%(2024年) | -5.5ポイント |
失業率 | 3.5% | 8.2% | +4.7ポイント |
信用格付け(Moody’s) | A1 | Ba1(ジャンク) | 投資適格喪失 |
財政赤字 | GDP比2.3% | GDP比6.8% | +4.5ポイント |
外貨準備高 | 2,100億ドル | 1,750億ドル | -350億ドル(-17%) |
観光収入 | 月間10億ドル | ほぼゼロ | -100% |
Netanyahu支持率 | 約35% | 約22% | -13ポイント |
表8-8: 2021-2025年の主要出来事年表
年月 | 出来事 | 米国の対応 | Netanyahu政権の行動 | 戦略的意義 |
2020年1月 | Soleimani暗殺作戦 | Trump単独実行 | 直接参加拒否、情報提供のみ | Trumpの不満の種 |
2020年11月 | Biden当選確実 | Trump係争継続中 | 即座にBiden祝福 | Trump激怒、関係決裂 |
2021年1月 | Biden大統領就任 | パレスチナ対話部分再開 | 警戒姿勢 | 緊張関係再開 |
2021年5月 | Guardian of the Walls作戦 | 停戦呼びかけ | 11日間で256人殺害 | Biden圧力も限定的 |
2022年11月 | Netanyahu第六次政権発足 | 極右連立に懸念表明 | 極右閣僚任命 | 史上最右派政権 |
2023年1-7月 | 司法改革強行 | 懸念表明も介入せず | 国内大規模抗議無視 | イスラエル社会分裂 |
2023年10月7日 | Hamas大規模攻撃 | イスラエル自衛権全面支持 | 「戦争状態」宣言 | 1,200人死亡、240人人質 |
2023年10月27日 | Gaza地上侵攻開始 | 軍事支援急増 | 完全包囲・爆撃開始 | 組織的破壊開始 |
2023年10月-2024年12月 | 国連停戦決議連続拒否権 | 5回拒否権行使 | 作戦継続 | 「負の十字架」完全顕現 |
2024年5月 | ICC逮捕状請求 | ICC批判、イスラエル擁護 | 「反ユダヤ主義」と非難 | 国際的孤立深刻化 |
2024年12月 | 死者5万人超 | 停戦呼びかけ、支援継続 | 作戦継続 | 人道危機極限化 |
2025年1月 | Trump第二期就任 | 「戦争終結」要求、過去の遺恨言及 | 交渉引き延ばし | Netanyahu窮地深刻化 |
2025年5月19日 | 停戦合意 | Trump仲介 | 渋々受入 | 19ヶ月戦争終結 |
2025年5月19日、ついに停戦が発効した。しかしその時、Gazaは壊滅していた。51,000人以上が死亡し、都市機能は完全に破壊され、190万人が難民となった。そしてNetanyahu自身も、政治的・法的窮地に立たされていた。彼が権力維持のために選択した戦争は、イスラエルに財政破綻と国際的孤立をもたらし、米国には「大量虐殺への加担」という歴史的汚点を刻んだ。「三つの呪縛」は、米国を完全に麻痺させ、5万人以上の死を止めることができなかった。これが、1979年から始まった「負の十字架」の、最も重い瞬間であった。
第9章:地政学的構造の持続と「十字架を軽くする」道(2025年)
2025年10月22日現在、イスラエルは深刻な危機に直面している。Gaza戦争は2年以上継続し、死者68,229人、国際的孤立、財政危機、そして国内の分断が加速している。しかし本章が問うのは、Netanyahu個人の政治的運命ではない。問うべきは、1979年に確立した地政学的構造が今も有効なのか、そして米国が背負う「負の十字架」を軽くする道は存在するのか、である。
9.1 イスラエル国内の三つの亀裂――分断の深刻化
2025年のイスラエルは、三つの深刻な社会的亀裂に引き裂かれている。この分断は、Gaza戦争によって一時的に隠蔽されたが、戦争の長期化とともに表面化し、社会統合の危機をもたらしている。
政治的分裂:左派・中道 vs 右派・極右
Israel Democracy Institute(IDI)の2025年9月世論調査は、イスラエル国民の深刻な矛盾を示している。停戦支持は66%に達し、前年比13ポイント増加した。Netanyahu首相への不支持率は64%、辞任要求も64%である。しかし同時に、パレスチナ国家樹立への反対は75%に達し、前年比11ポイント増加している。国民は戦争の終結を望むが、その代償としての譲歩は拒否する。この矛盾した世論が、イスラエル政治を機能不全に陥れている。
政治勢力は明確に二分されている。中道派のBenny Gantz(National Unity党党首、元国防相、元IDF参謀総長)とYair Lapid(Yesh Atid党党首、元首相)は、停戦交渉と国際社会との関係修復を主張する。2025年10月の世論調査では、Gantzの支持率は35-40%、Lapidは25-30%である。対照的に、極右のItamar Ben-Gvir(国家安全保障相、Jewish Power党)とBezalel Smotrich(財務相、Religious Zionism党)は、West Bank全面併合とGaza再占領を主張する。両党合計の支持率は20-25%を維持しており、極右勢力の影響力は依然として強い。
宗教的分裂:世俗派 vs Haredi(超正統派)
イスラエル人口の13%を占めるHaredi(超正統派ユダヤ教徒)は、兵役免除と政府補助依存という特権的地位を占めている。世俗派イスラエル人の不満は臨界点に達している。Gaza戦争で1152人のイスラエル兵が戦死したが、Haredi男性のほぼ全員が兵役を免除されている。Times of Israelの2025年1月報道によれば、Haredi人口は年率4%で増加しており、2030年には人口の16%、2050年には30%に達すると予測されている。しかしHaredi男性の就業率は約50%に過ぎず、多くがTorah学習に専念し政府補助に依存している。
この構造は経済的にも持続不可能である。世俗派が税金を納め兵役に就く一方で、Haredi人口が急増し財政負担が増大する。2024年6月、イスラエル最高裁判所はHarediの兵役免除を違憲と判断したが、Netanyahu政権は判決を無視している。この問題は、イスラエル社会の根本的な公平性と持続可能性を問うものである。
民族的分裂:ユダヤ人 vs アラブ系市民
イスラエル人口の21%を占めるアラブ系市民は、形式的には平等な市民権を持つが、実質的には二級市民として扱われている。Gaza戦争は、この分断を決定的に深化させた。Al Jazeeraの2025年3月報道によれば、戦争開始以降、アラブ系市民への監視が強化され、Gaza支援活動への参加者が「テロ支援」容疑で逮捕されるケースが相次いでいる。
イスラエルは自らを「ユダヤ人国家かつ民主国家」と定義するが、この二つの原理は本質的に矛盾している。Gaza戦争での民間人大量死は、国際社会におけるイスラエルの「民主国家」という看板を根底から揺るがした。アラブ系市民の疎外感と不信感は、過去最高水準に達している。
表9-1:イスラエル国内分断の指標(2025年)
分断の軸 | 主要対立 | 数値指標 | 出典 |
政治的分裂 | 停戦支持 vs 戦争継続 | 停戦支持66%、パレスチナ国家反対75% | IDI 2025年9月 |
政治的分裂 | Netanyahu支持 vs 反対 | 不支持率64%、軍信頼度77% vs Netanyahu 46% | IDI 2025年8月 |
宗教的分裂 | 世俗派 vs Haredi | Haredi人口13%→2050年30%予測、兵役免除率95%以上 | Times of Israel 2025年1月 |
宗教的分裂 | 経済負担 | Haredi男性就業率約50%、政府補助依存 | Times of Israel 2025年1月 |
民族的分裂 | ユダヤ人 vs アラブ系 | アラブ系人口21%、Gaza戦争後の監視・逮捕増加 | Al Jazeera 2025年3月 |
9.2 1979年の地政学的構造は今も有効か――イスラエルという「不沈空母」
第4章で論じたように、1979年イラン革命は中東の地政学を根本的に変えた。米国はペルシャ湾からレバントに至る広大な地域で、信頼できる同盟国をイスラエル以外に失った。この構造は、2025年においても変わっていない。
イスラエルの戦略的価値:五つの要素
第一に、中東唯一の核保有国である。Arms Control Associationの2025年推計によれば、イスラエルは90発の核弾頭を保有している。この核戦力は、Iran核開発への最終的抑止力として機能している。
第二に、地域最強の軍事力である。Global Firepower 2025年ランキングで、イスラエルは世界第15位、Iran(第16位)を上回る軍事力を持つ。人口930万人という小国でありながら、この軍事力は中東のパワーバランスにおいて決定的である。
第三に、形式上の民主国家である。議会制民主主義、法の支配、独立した司法制度を持つイスラエルは、中東で唯一の「西側型民主国家」とされる。この政治体制は、米国の国内政治において、イスラエル支援を正当化する重要な根拠となってきた。Gaza戦争はこの看板を傷つけたが、代替案がない以上、米国はこの論理に依存し続けざるを得ない。
第四に、反Iran最前線である。Iran核開発、Hezbollah支援、Yemen Houthi支援に対する軍事的・情報的対抗の最前線は、イスラエルである。米国がIran封じ込め戦略を維持する限り、イスラエルの役割は不可欠である。
第五に、Living Laboratory機能である。第6章で詳述したように、イスラエル軍需産業は実戦データを武器に世界市場を席巻している。年間輸出額は130億ドル超、対テロ・サイバー・無人機技術で世界をリードする。米国防総省もイスラエル技術に依存しており、この経済的・技術的相互依存は同盟を強化している。
代替案の不在
エジプトは人口1億を超えるが、軍事独裁政権であり経済危機に苦しむ。サウジアラビアは絶対君主制で政治的不安定を抱え、軍事力も限定的である。ヨルダンは脆弱な王国で経済的に米国に依存し、人口の60%がパレスチナ系で内部不安定を抱える。UAEは小国で防衛能力が限定的、地域的影響力も小さい。
イスラエル以外に、「核保有・地域最強軍事力・民主体制・反Iran最前線・技術先進国」という五つの条件を満たす国は、中東に存在しない。この地政学的現実が、1979年以降、米国を「負の十字架」に縛り続けている。
表9-2:中東主要国の戦略的比較(2025年)
国名 | 核兵器 | 軍事力ランク | 政体 | 米国との関係 | 戦略的制約 |
イスラエル | 90発 | 世界15位 | 民主制(形式上) | 最強同盟 | 国際的孤立、財政危機 |
エジプト | なし | 世界14位 | 軍事独裁 | 同盟国 | 経済危機、人口1億超統治困難 |
サウジアラビア | なし | 世界23位 | 絶対君主制 | 同盟国 | 政治不安定、軍事力限定 |
ヨルダン | なし | 世界69位 | 君主制 | 同盟国 | 脆弱、パレスチナ系人口60% |
UAE | なし | 世界39位 | 絶対君主制 | 同盟国 | 小国、防衛能力限定 |
Iran | なし(開発中) | 世界16位 | 神権政治 | 敵対国 | 米国の主要敵対国 |
9.3 Abraham Accordsと地域バランス再構築の試み
2020年9月15日、Trump第1期政権は歴史的なAbraham Accords(アブラハム合意)を実現した。イスラエルとUAE、バーレーンが国交正常化し、2020年12月にはモロッコ、2021年1月にはスーダンが続いた。この合意の戦略的意図は、「イスラエル単独依存から中東地域全体のバランスへ」という米国の地政学的構造の転換であった。
Abraham Accordsの実績
2020年から2025年の5年間で、イスラエルとUAEの貿易額は年間30億ドルに達した。観光、技術協力、金融取引が急速に拡大している。バーレーンとの関係も、主に安全保障・情報分野で深化した。これらは単なる外交儀礼ではなく、実質的な経済統合の始まりである。
しかしAbraham Accordsには決定的な限界があった。最も重要なサウジアラビアの参加が実現していないことである。2023年10月7日のHamas攻撃直前、米国とサウジアラビア、イスラエルの三者間でサウジ正常化交渉は最終段階に入っていた。しかしGaza戦争の勃発により、すべてが凍結された。
Trump第2期政権の戦略
2025年1月20日に就任したTrump第2期政権は、Abraham Accords拡大を最優先外交課題に位置づけている。Reutersの2025年10月17日報道によれば、Trump大統領は「サウジアラビアは合意に参加する準備ができている」と述べた。しかし障害は明確である。サウジアラビアは、正常化の条件としてパレスチナ国家樹立への「credible pathway(信頼できる道筋)」を要求している。Netanyahu極右政権は、West Bank併合志向を持ち、この条件を受け入れられない。
Abraham Accords拡大の戦略的意図は、米国の「十字架」を地域全体に分散することである。イスラエルを「孤立した核保有国」から「地域に統合された国家」へと転換し、サウジ・UAE・バーレーン・エジプト・ヨルダンとの関係強化により、米国のイスラエル単独依存度を低下させる。これが実現すれば、イスラエルは「唯一の戦略的拠点」から「主要拠点の一つ」へと位置づけが変わり、米国の外交的自由度は回復する。
表9-3:Abraham Accords 年表と現状(2020-2025年)
日付 | 出来事 | 実質的成果 | 制約・課題 |
2020年9月15日 | UAE・バーレーン正常化 | 貿易額年間30億ドル、観光・技術協力 | Gaza戦争で関係冷却 |
2020年12月 | モロッコ正常化 | 安全保障・情報協力 | 限定的 |
2021年1月 | スーダン正常化 | 政治的象徴のみ | スーダン内戦で実質停止 |
2023年10月7日 | サウジ交渉最終段階で中断 | — | Hamas攻撃とGaza戦争で凍結 |
2025年10月 | Trump第2期、サウジ交渉再開表明 | 交渉段階 | パレスチナ問題が障害 |
9.4 二つの正常化――「十字架を軽くする」可能性
米国が背負う「負の十字架」を軽くする道として、二つの正常化が議論されている。第一の正常化は中東地域バランスの再構築、第二の正常化はイスラエル政権の転換である。
第一の正常化:地域バランス再構築の構想
Abraham Accords拡大により、イスラエルを中東地域に統合する構想である。サウジアラビアの参加が鍵とされる。サウジが正常化すれば、カタール(既にイスラエルと非公式接触)、クウェート、オマーン、インドネシアなどイスラム圏諸国が続く可能性がある。
Iran封じ込めについては、イスラエル・サウジ・UAE・バーレーン・エジプト・ヨルダンの連携により、地域のパワーバランスがIranより優位になる可能性が指摘されている。
第二の正常化:イスラエル政権転換の可能性
極右連立政権から穏健派・中道政権への転換が、一部で期待されている。Benny GantzまたはYair Lapidを首相とする連立政権が成立した場合、West Bank併合放棄、Gaza再建協力、パレスチナ問題への現実的アプローチが可能になるという想定である。
ただし、2025年10月時点で、Netanyahu首相は依然として在任中であり、政権交代の時期も方法も不確定である。仮に穏健派政権が成立しても、世論の75%がパレスチナ国家樹立に反対している現実は変わらない。穏健派政権が実際に何を実行できるかは、未知数である。
二つの正常化が実現した場合の理論的効果
理論的には、地域バランスとイスラエル政権の両方が転換すれば、以下の効果が想定される。
米国にとっては、地域全体でリスク分散、イスラエル依存度低下、財政的コストの削減、国連安保理での拒否権行使減少、国際的信頼性回復(特に民主党支持層と若年層)が期待される。
イスラエルにとっては、地域統合による経済的利益拡大、国際的孤立からの脱却、社会統合回復の可能性(世俗派とHarediの対立緩和、ユダヤ人とアラブ系市民の分断緩和)が想定される。
パレスチナ人にとっては、二国家解決は依然として遠い目標だが、少なくとも現状悪化の停止、Gaza再建、人道的最低限の生活保障という希望が生まれる可能性がある。
主要な障害
サウジ正常化は、パレスチナ問題が障害である。イスラエル世論の75%はパレスチナ国家樹立に反対している。穏健派政権が誕生しても、この世論を変えることは極めて困難である。極右勢力(Ben-Gvir、Smotrich)の支持率は20-25%を維持しており、入植者運動と宗教右派の組織力は強固である。Iran問題も継続する。
表9-4:二つの正常化の理論的効果と障害
正常化の種類 | 具体的内容 | 期待される効果(理論) | 主要な障害 |
第一:地域バランス | Abraham Accords拡大、サウジ参加 | イスラエル地域統合、米国コスト分散、Iranへのパワーバランス優位 | パレスチナ問題、Gaza戦争の記憶、Iraq/Syria/Qatarは親Iran |
第二:政権転換 | 穏健派政権(Gantz/Lapid)、極右排除(仮定) | 停戦遵守、国際法尊重、米国信頼回復の可能性 | 世論75%がパレスチナ国家反対、極右勢力20-25%維持、実現は未知数 |
両方が実現した場合 | 地域統合+穏健派政権(理想) | 米国の「十字架」軽減の可能性 | 長期プロセス(5-10年)、多数の不確定要素 |
9.5 1979年の決断――最終段落
1979年、米国はイラン喪失という悪夢に直面した。その瞬間、イスラエルという核保有国を戦略的拠点として選んだ。核密約、Samson Option、戦略的依存という三つの呪縛が、その選択から必然的に生まれた。その決断の瞬間から、「負の十字架」は構造的に不可避だった。
Netanyahuは、この十字架を最も重くした人物である。彼は米国が「Noを言えない」構造的制約を熟知し、それを最大限に悪用した。汚職裁判から逃れるために戦争を継続し、極右連立を維持するために停戦を拒否し、個人的政治生命の延命のために同盟を人質に取った。
Trump第2期政権との関係は、第8章で詳述したように既に悪化している。Netanyahuは、Trumpから何らかの制裁や仕打ちを受けることを理解している。しかしここに逆説がある。もしTrumpの「すぐに戦争を止めろ」という要求に即座に従えば、Netanyahuは弱さを見せることになり、その後の仕打ちはより大きくなる。
Netanyahu の計算は冷徹である。戦争を可能な限り引き延ばし、極右連立を利用して停戦を拒否し続ければ、米国は国連安保理で拒否権を行使し続けざるを得ない。米国がイスラエルの「共犯者」となればなるほど、Trumpも最終的に譲歩せざるを得なくなる。ぎりぎりまで引き延ばし、お互いの妥協点が見つかる時点まで虚勢を張り続けることが、汚職裁判を抱えるNetanyahuにとって最も有利な戦略である。
恐怖が大きければ大きいほど、弱いと見透かされないように虚勢を張る。戦争を延ばせば延ばすほど、米国は深く関与し、最終的な妥協の条件はNetanyahuに有利になる。これがNetanyahuの計算であり、「負の十字架」を最も重くした理由である。
しかし地政学的構造は変わらない。Iranの敵対的脅威は変化し続けていて、中東は不安定なままである。米国は十字架を降ろすことはできない。
課題は明確である。二つの正常化によって、十字架を軽くする可能性を探ること。中東地域の地政学バランスの構築。イスラエル政権の転換と抑止力による地域安定化。この二つが実現すれば、米国の十字架は軽くなる可能性があり、同時にイスラエルは孤立から脱する道が開け、パレスチナ人には希望が生まれる可能性もでてくる。
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