1. メタン排出が国際競争力の評価基準に
かつては温室効果ガス(GHG)対策の中心は二酸化炭素(CO₂)であったが、近年ではより強力な温室効果を持つメタン(CH₄)への注目が高まっている。メタンの地球温暖化係数(GWP)はCO₂の20~80倍とされ、エネルギー分野ではその管理能力が競争力に直結してきた。
天然ガスは、石炭や重油に比べて燃焼時のCO₂排出量が30~50%少ないことから、「移行燃料」として重宝されてきた。しかしその一方で、採掘・処理・パイプライン・LNG輸送・再ガス化といったバリューチェーン全体の過程で微量ながらメタン漏出(fugitive methane)が生じており、これが一定量を超えると「ライフサイクル全体では石炭より気候に悪影響」と見なされる可能性もある(特に短期影響を重視するGWP20ベースの評価において)。
【補足:石炭と天然ガスの排出比較(GWP20ベース)】
指標 | 石炭(平均) | 天然ガス(理論値) | 天然ガス(メタン漏出あり・GWP20換算) |
---|---|---|---|
CO₂排出量(kg-CO₂/GJ) | 約95~100 | 約55~60 | 約55~60(変わらず) |
メタン漏出量(%) | – | 0% | 2%(仮定) |
メタンのGWP20換算CO₂相当量 | – | 0 | 約96(CH₄のGWP20=84を想定) |
総合GWP20ベースの排出量 | 約100(CO₂のみ) | 約60(CO₂のみ) | 約156(CO₂ + メタン換算) |
GWP20では、メタンの気候影響はCO₂の約80倍とされ、短期間での温暖化リスクが非常に高い。そのため、メタン漏れが一定以上存在する天然ガスのライフサイクル排出は、短期的には石炭よりも温暖化への影響が大きくなるという指摘がある。
2. MRV制度の導入と制度接続の競争
このような中、欧州ではメタン排出量の報告がLNG輸入契約の前提条件になりつつあり、透明性の高いMRV(測定・報告・検証)制度が整備されていない供給国は市場から敬遠される傾向がある。たとえば、東南アジアやアフリカの一部ガス生産国は、自主的にMRV制度の導入を進めることで、取引信用の確保を目指している。
MRV(Monitoring, Reporting, Verification)制度においては、以下のような要素が国際的な基準として求められる:
- 測定(Monitoring):メタン排出量の直接測定またはモデル推計に基づく定量的評価。サテライト観測や赤外線カメラ、ドローンによる上空監視なども導入されつつある。
- 報告(Reporting):企業や国家による排出インベントリの定期報告。報告書はUNFCCCのIPCCガイドラインやOGMP 2.0の枠組みに基づいて整備されることが推奨されている。
- 検証(Verification):独立した第三者(例:DNV、ERM、Bureau Veritas等)による外部検証。信頼性を担保するため、エビデンスに基づく確認が必要。
特にOGMP 2.0(Oil and Gas Methane Partnership 2.0)は、UNEP主導の下で整備されており、参加企業は排出源レベルでの詳細報告と改善計画の策定が義務づけられる。
契約上は、こうしたMRV制度への準拠が**「契約履行の前提条件(precedent condition)」**として組み込まれるケースが増えている。たとえば、
- 「年次MRV報告書の提出」
- 「メタン排出量が一定水準(例:0.2%)を超えないこと」
- 「OGMP 2.0等の国際基準に基づく認証取得」
などが契約条項として明文化されており、満たされない場合は契約解除またはペナルティ対象とされることもある。
排出量管理は、Scope 1(自社設備からの直接排出)、Scope 2(購入電力などの間接排出)、Scope 3(サプライチェーン全体での排出)までを対象とする包括的アプローチが求められている。このように、MRV制度は単なるESG評価や国連の気候枠組み(UNFCCC)への準拠にとどまらず、エネルギー貿易の「信用条件」として制度競争の軸となっている。
すでにEUでは2030年以降、LNG輸入契約にメタン排出の開示義務を組み込む方針が明言されており、制度整備のない供給国は、LNGマーケットへのアクセスすら難しくなるリスクを抱える。国際認証スキーム(たとえばOGMP 2.0)への参加も増えており、衛星・ドローンを活用した監視体制の導入も進むなど、「どれだけ漏らさず・どれだけ測れるか」が競争力の核心になっている。
結論として、天然ガスの主成分がメタンであること自体は問題ではない。問題は「制度と技術でいかに管理するか」であり、これはエネルギーを“使える燃料”に保つための必須条件である。メタン管理が進めば、天然ガスは依然として脱炭素への“橋渡しエネルギー”として評価されうる。矛盾ではなく、「制度による競争軸の変化」と捉えるべきである。
※OGMP 2.0(Oil and Gas Methane Partnership 2.0)は、国連環境計画(UNEP)とClimate and Clean Air Coalition(CCAC)によって設立された国際枠組みであり、メタン排出の測定・報告・検証に関する最高基準を提供することを目的としている。公式情報は https://www.ogmpartnership.com/ にて公開。
※Scope 1は事業者自身の直接排出、Scope 2は購入電力・熱などの間接排出、Scope 3は上流から下流までのサプライチェーン全体の排出を指す。
3. 「脱炭素対応エネルギー」への技術再設計が進む
従来、LNGの評価は熱量と価格に大きく依存していたが、現在では「カーボンインテンシティ(CI)」、すなわちバリューチェーン全体での温室効果ガス排出強度が、新たな評価軸として重視されている。買い手は単に安価なガスを求めるのではなく、「どれだけ低炭素で、制度的にトラッキングできるか」に注目している。
このため、LNGプロジェクトでは上流から下流までの脱炭素設計が求められており、以下のような再設計が進行している:
- 液化工程でのCO₂回収・再利用(CCUS)
- 再エネ電力によるLNGプラントの運営
- メタン漏洩のリアルタイム監視
- 排出インベントリのブロックチェーン管理による改ざん防止
加えて、Scope 1〜3にわたる排出量の開示が国際認証(例:OGMP 2.0、GHG Protocol、ISO 14064)を通じて標準化されつつあり、企業レベルでのトレーサビリティ構築が必須となっている。
さらに、近年では天然ガスそのものの再設計も進んでいる。たとえば、e-メタン(合成メタン)、バイオメタン、CCS付き天然ガス(Blue Gas)、ターコイズ水素(熱分解による低炭素水素)などが「脱炭素制度と整合可能なエネルギー」として台頭しており、次のような特徴を持つ:
種類 | 技術的特徴 | 脱炭素制度上の利点 | 課題・リスク |
---|---|---|---|
e-メタン(合成メタン) | グリーン水素とCO₂を合成 | 既存ガスインフラで使用可能。CBAM・EU-ETSで再エネ扱い | 製造コストが高い。CO₂源の確保も課題 |
バイオメタン | 有機廃棄物などから発生 | ライフサイクルで実質ゼロ排出として扱われる(RED II等) | 安定供給が難しく、供給量に制限あり |
CCS付き天然ガス(Blue Gas) | 採掘・液化時のCO₂を分離・回収・貯留 | Scope 1排出を相殺。ETS対応実績あり | インフラ整備にコストと地域制約が大きい |
ターコイズ水素 | メタンを熱分解し、水素と固体炭素を生成 | CO₂を出さない水素源として評価 | 商業スケール化が未確立。高温熱源の課題 |
これらの「再設計されたエネルギー」は、既存のガスバリューチェーンを活かしつつ制度的に低炭素性を証明できるという点で、国家のエネルギー選択における新たな戦略資産となっている。
特に欧州では、EU-ETS(排出枠取引制度)やCBAM(炭素国境調整措置)の導入により、「どのエネルギーを選ぶか」が輸入価格に直結しており、バイヤーは単なる熱量や価格ではなく、「制度整合性」「GHGトレーサビリティ」「MRV対応能力」に注目している。
一方で、技術的・経済的な成熟度には差があり、短期的にはBlue Gasやバイオメタンのように既存資産との親和性が高いエネルギーが有利とされる一方、e-メタンやターコイズ水素は中長期の制度移行に合わせた市場整備が必要とされている。
結論として、いま天然ガスは単なる熱源としてではなく、「制度対応が可能な技術パッケージ」としての競争を迫られている。買い手が評価するのは価格でも分子構造でもなく、「制度・市場・脱炭素規範の中で活用できるエネルギーかどうか」である。
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