大学受験

未分類

大学受験前

 大学の入学受験に関しても、少し紹介したいと思う、この大学受験の成功(と言っても過言ではないと思う)も、柔道部時代に習得した、「計画し、粘り強くやりぬき、結果を出す」という、その後の様々なプロジェクトに対する姿勢と同様な取り組み方を行った。

 受験に取り組んだ時期は高校3年の夏休みを終わった頃ではないか?と記憶している、先に書いたように、高校3年の初夏の柔道部引退後は、ボディビルのジムに通いたくて仕方がなく、まずはジムに通った記憶がある。

 しかし、高校3年生である、大学の入試も迫ってきている、そして、その頃受けた大学入学模擬試験では、自分の学力は最低レベルの大学でさえ、E判定という箸にも棒にもかからない現状で、担任の理系のクラスの先生に、このまま受験しても絶対にどこも受からない、と太鼓判を押され、こうなったら、高卒で、ボディビルに関する会社にでも入ろうか、と真剣に考えたものである。

 高校受験の時ですら、夏休み中に受験向けのゼミを受講していたのに、大学受験前の夏休みは全くそんなこともせず、確かジム通いに狂っていたように記憶している、そして、その夏休み明けの模擬試験の結果が散々だったのだ、担任の先生が、おまえは夏休みにやっていたんだ?という気持ちを込めて、お前はどこも受からない、と叱咤の意味で、言ったことは想像に難くない。

 その先生の発言がきっかけかは完全に確かな記憶ではないのだが、この模試の結果で、どこも入れないと言われて、発奮したのか、その後、猛烈に受験勉強を始めたのを記憶している。

 その方法も本当に極端であった、既に夏休み明けである、高効率で勉強をしないと受験の日まで、間に合わないことは明白だったので、まずは3教科の受験で受験可能な私立に決め、そして、3教科のうち、英語の勉強を捨てて、得意分野の数学、物理の2教科のみに絞る、つまり、英語で点を取れない分、物理と数学で英語での失点の点数を稼ぐという作戦を立てた。

 数学と物理の2教科を徹底的に、確実に勉強し、極めること、特に物理に関しては東大・京大レベルの問題でも解けるような実力をつけるように勉強する、また、数学は東大・京大レベルは無理として、6大学クラスの問題は解けるような実力をつけるように勉強する、また、その数学の勉強範囲も、様々な過去問題集を分析した結果、確率・統計に関する出題の頻度が低いので、数学の中でも確率・統計も捨てる、といった、徹底的に勉強量を集中して絞り込み、前の年の全大学の数学と物理の過去問題集のみをやり抜き、毎日、何ページを終わらせれば、受験1か月前に2つの問題集が終了するかを計算し、最後の1か月前はテストさながらの方式で、受験する大学の過去問題集を模擬試験の形式で徹底的に解き、実力の確認を行った。

 学校のある日は帰宅後、毎日5時間、土日は毎日11時間の勉強を行い、もちろん、年末年始も全くなしで、徹底的に地力をつけ、そして、全ての計画を達成し、受験に臨んだ。

大学受験結果

 受験した大学とその結果は、第一志望、明治大学、機械工学科、不合格、第二志望、日大、理工学部、不合格、第三志望、東京電機大学、物理学科、合格、親の薦めで受けた実力以上の中央大学、理工学部。

 人生、何があるか分からないものである、第三志望であるが、夏休み明けにはどこにも受からないと言われていた実力で、大学に受かったのだ。

 本当にうれしかったし、報われた気がした。

 これは後日談がある、大学の合格発表はもちろん、自ら見に行っていた。

中央大学入学写真 (本人とは関係ありません):引用元 https://www.chuo-u.ac.jp/academics/faculties/science/news/2021/04/53992/

 親の薦めだけで受けた、オプション受験だった中央大学は、受験当日、まず、英語科目はもちろん全くダメ、そして、次の数学、なんと、出ないとヤマを張った第一問目に確立と統計が出ているではないか!!これには本当に驚いた、それと同時に完全に諦めの気分が生じ、しかし、せっかく受けるのだからやるだけやろうと、本当にリラックスして、2問目から問題を解いていた。

 そして物理もなんとも難しく、手ごたえを感じない、これはダメだ、と受験終了後、痛感したものである。

 こんな状況だったので、第三志望で受かっている東京電機大学に完全に行くものと思っていて、また、中央大学の合格発表の日は柔道部の卒業謝恩会の日で、かつ、東京電機大学の一時金の入金締め切り日だったのだ、そんな状況だったから全く見に行くつもりはなく、それよりも自分を大きく変えてくれた柔道部の卒業謝恩会の方が大事で、親にも中央はむりだから、電機大の一時金を払ってください、とお願いしていた。

 しかし、流石に親である、せっかくだから発表見てから、中央大学の郵便局から振り込めば、遅くないよ、と言って、私の代わりに発表を見に行ってくれた。

 そして、携帯電話なんかないあの時代、なぜか、どう高校に父親から連絡がついたのかは全く忘れたが、謝恩会中に中央大学に合格したことの連絡が入った。

 この時もそうだが、なんだか小生には大きな賭けの時に“運”のようなものがあって、その大きな運は自分の人生を大きく舵取りしてくれている。

 この時は感じてはいなかったが、人事を尽くして天命を待つ、と結果はついてきた人生であった。

にほんブログ村 シニア日記ブログへ にほんブログ村 海外生活ブログへ にほんブログ村 転職キャリアブログへ

コメント

タイトルとURLをコピーしました